今日、1995年1月17日から30年が経ちました。弊社の拠点がある神戸。この街への思い入れは、一つの痛烈な経験から始まりました。
■想定外との出会い
当時、地震の多い東海地方に住んでいた私は、皮肉にも1995年の年始に「神戸には地震がない」と親族に話していました。そんな思い込みは、1月17日午前5時46分に大きく覆されることになります。
西宮市のマンションで迎えた運命の朝。大きな揺れを感じながらも、最初は夢だと思っていました。なぜなら、「神戸で地震は起きない」という思い込みが、現実を受け入れることを妨げていたからです。
数分後、現実が目の前に広がりました。部屋の端から端まで移動したテレビ、壁の亀裂。外に出ると、倒れた電柱、崩れた家屋。私たちの「常識」が音を立てて崩れ落ちる瞬間でした。
■情報の重要性を知る
その夜、同じマンションの住人たちと尼崎方面へ避難しました。ラーメン店のテレビで初めて知った神戸の惨状。被災地にいながら、その全体像を把握できない。情報の重要性、そして情報格差がもたらす影響を、身をもって経験しました。
■逃げたという後悔から学んだこと
数日後、私は被災地を離れ、数週間を帰省して過ごしました。「逃げ出した」という後悔、「被災地で何かできたのではないか」という思いは、30年経った今でも心に残っています。
この経験が、現在の私の原点となっています。地域の防災部会長として、また防災士として、あの日の教訓を活かす活動を続けています。
■リスクマネジメントという気づき
震災から学んだ最も重要な教訓。それは「予期せぬ事態を何もせずに待つのではなく、想定されることを予測し、行動をシミュレーションしておく」という、リスクマネジメントの本質です。
この考え方は、現在の弊社のサプライチェーンマネジメント事業の根幹となっています。予測、準備、そして迅速な対応。これらは災害対策だけでなく、ビジネスにおいても重要な要素なのです。
■30年を経て
震災から30年。神戸の街は見事に復興を遂げましたが、この経験から学んだことを決して忘れてはいけません。弊社は、この教訓を活かし、クライアントの事業継続性を支援していきたいと考えています。
リスクマネジメントとは、単なる危機対応ではありません。それは、未来への備えであり、持続可能な発展への道筋なのです。震災30年という節目に、改めてその思いを強くしています。
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